かまくらりんどうの会 (認知症を支える家族の会)かまくらりんどうの会 今月の話題

更新日: 2020年8月31日

9月の話題

かまくらりんどうの会 今月の話題です

* ★かまくらりんどうの会の活動についてお知らせします★


* 9月の活動は、5日(土)の電話相談(0467-23-7830 13時〜16時)
 と11日(金)の運営委員会のみとなります。
  そのほかの介護護相談会、交流会など、すべての活動は7月に引き続き
 中止となります。
 恒例の福祉センターのバザーは、本年度中止です。

* 電話相談の福祉センターでの対面のご相談は、しばらくの間中止とさせ
 ていただきます。

* 毎月、次の月の活動予定については、会報でお知らせ致します。

 
◎ 新型コロナウィルスの感染防止のため、本年度の活動は今後も変則的に
 なると思いますが、その都度会報でお知らせ致します。
 

*★9月の予定★


5日(土) りんどう電話相談 13:00〜16:00
11日(金) 運営委員会 10:00〜12:00
25日(金) 会報印刷 9:00〜12:00
 
 

義母(はは)の記  M.M


オレンジカフェ
 原稿の依頼を受け、専門職としてではなく、今、認知症の診断を受けるか受けないかの義母をもつ長男の妻として、気持ちを整理しながら書こうと思います。


 義母はパーキンソン病が否定され、『大脳皮質基底核変性症、進行性核上性麻痺などによるパーキンソニズムだろう、経過をみましょう』と大学病院で2週間前に告げられたばかりです。 義母は今年80歳になりました。両親は、高速道路で1時間ほどの一戸建てに結婚以来ずっと住んでいます。敷地内で自営業を営んでいたので、義母は、祖父母、子どもたち、そして一時期は父の妹たちも住んでいる時期もあったようです。
 私は40代後半。夫、娘と3人暮らし。息子二人は他県、他国で生活中です。他市病院に保健師として勤務しています。3年前からの家族としての心の動きや母の変化も含めた経過を何回かに分けて書きます。

<はじまりは言葉の出にくさ>
 3年程前、母が「話し初めに言葉が出にくい」と訴えるようになりました。話し始めてしまえばいつも通り。母は体を動かすことを好み、毎朝夕の散歩は欠かさず、毎日の義母の歩数に私はおよびませんでした。明るく社交的で多趣味、人の世話好きの義母でしたが、繊細なところもありました。義父が人工透析となり、食事、体調など常に義父の心配をしていました。義父は体調が悪い時など、義母に強い言葉をなげることがありました。そんな生活が心に負担をかけているのかな・・・そんな想いでいました。
 義母が田舎の法事に出かけた際、親戚に「脳梗塞かもよ」と言われた一言で、神経内科を受診することになりました。画像上異常なく、もやもやした気持ちを義母も家族も抱えながら時は過ぎました。

<介護保険申請は知らぬ間に>
 それから数カ月後、両親の近くに住む姉(夫の姉)より「お母さんが夜に2階から転がり落ちて救急搬送されて、右目の上を縫った」という報告を受けました。母は壮年期より不眠に悩まされていて、睡眠導入剤を内服していました。その日から薬は中止。1階から2階の急階段に手すりが必要だなと思っていたところ、私たちが知らぬ間に、介護保険の申請が済まされ、手すりがついていました。言葉の出にくさや、気力が低下したこと以外はあまり変化がなかった義母は、認定で最も軽い要支援1の認定が出ました。
 地域包括支援センターと地域で協働して行っていた認知症カフェに、義母は担い手として参加していました。また、アルツハイマー型認知症の祖母を介護していた20年ほど前、保健所とその地域で認知症家族の会を立ち上げた発起人でもありました。
 そんな公的機関とのつながりがあり、介護保険の申請はスムーズでした。
義母がこどもたちに相談せずに手続きをすすめたのは、迷惑をかけたくないと思ったのか、真意はわからなかったのですが、あまりそのことについて話したがらない義母に詳しくきくことはできず、私はこっそりと地域包括支援センターに電話をし、義母の変化を報告し、センターの方々の観察した母について伺いました。
 センターの方によると、母は、認知症カフェで積極的に参加者の話し相手など表に出ることが多かったそうですが、最近は裏方にまわるようになり、「お母様の変化、心配していました。お子さんたち、かかわっていたのですね。よかった。」と言われました。

<治療がはじまり、通所リハビリに通い始める>
 それから数か月、今から1年数か月前、母が足のつりや左足のしびれ、足の動きにくさ、左手の握力低下を感じるようになりました。私たちがみても、ごく少しだけ、左足をひきずるような動きがありました。
 そのころ、何十年も続けていた書道を「手がうまく動かないし・・・」とやめ、定期的に通っていたヨガや体操教室もやめてしまいました。
 医師の勧めもあり、「パーキンソン病の可能性があるから、薬を試してみよう」と、ドパミンを補う治療を開始しました。しかし、義母の体の動きにくさに変化はありませんでした。それまでの義母は、診察の状況を私たちに伝えてくれていたのですが、趣味をやめてからは近くに住む姉が神経内科の受診を同行するようになりました。近くの病院の受診は姉、大きな病院など車の送迎が必要な受診は夫や私、となんとなく役割がありました。
 心理的距離が近く、物理的にも母の近くに住む姉に、介護サービスの利用を開始することを相談しました。人に与えることの好きな義母、子どものころから、人に与えられるより、与えたい、助けたい母は、デイサービスの利用は抵抗があるようでした。
 なかなか利用に至りませんでしたが、義母と呼吸器科の病院を受診した時の待ち時間に、デイサービスなどでリハビリをしてみてはと提案してみました。面と向かって話したときは抵抗があった母でしたが、待ち時間、雑談をする中での提案はすっと受け入れてくれました。義母も、足の動きにくさはなんとかしたいという思いがありました。
 デイサービスでなく、通所リハビリに通い始めましたが、1日通って、「ばかばかしい」と行くのをやめてしまいました。確かにそのころの母は、趣味こそやめていましたが、毎朝夕の散歩は欠かさず、身体能力も高かったのです。しかし、体のリハビリでなく、言語のリハビリに通うことにしました。義母は「言葉の出にくさをなんとかしたい」と考えていたのです。

   

若者との付き合い−結局、歳を感じただけなんだ! 渡邊武二


 コロナ禍、いかがお過ごしですか。いろいろ大変なことも多いことと思います。こんな時ですから、みんなで力を合わせて乗り切りましょう。
 さて、今号では、私が経験した若者たちとの“やりとり”の一部について書いてみました。

 定年退職後、2年ほど某団体で仕事をさせていただき、その後週一回ほど3年間ある特別養護老人ホームのデイサービスでお手伝いをさせていただいた時の経験です。
◎ 認知症に効果があるということで、クロスワードパズルが利用者の間で行われていました。教員免許を取るために実習に来ていた男子大学生の話。
 「君もやってみるか」 「はい、やらせてください」
 実習生は、果敢に取り組み始めました。しばらく見ていると、マスを漢字で埋め始めました。たとえば、4マスを埋めなければならないところを、漢字で埋めると2ワクで済んでしまうとなるわけです。
 「おいおい、クロスワードやったことないの?」 「はい!」 
 「そうか〜。大学では、教えないかー」
◎ 教員志望の女子大生が2人、昼食時の味噌汁の具をめぐっての会話。 「ねぇ、この貝“アサリ”それとも“シジミ”、どっち?」「どっちかなぁ、わたしもわかんないよ」。「これは、シジミだよ」と私。「アサリとシジミどう違うんですか?」 「アサリは海水、シジミは淡水か海水と混じった所で取れるんだ」。「宍道湖が有名。関東では霞ケ浦かな」「霞ケ浦知ってる?霞が関じゃないよ」。「私、地理弱いんです」。

 
続いて、70歳近くまでやっていた福祉専門学校での非常勤教員の経験。
◎ 点数がきちんと出る試験とゲタをはかせることができる記述式の試験とどちらが
いいー、期末試験の実施方法について希望を聞いてみた。
 「先生、ゲタってなんだ?」 「う〜ん」。 白板にゲタの絵を描いた。「なんだ!ゲゲゲの鬼太郎の履いてるやつじゃん」「先生の気分で点数を決めるんだぞ!大丈夫だ、まじめにやっていれば、転んだら捻挫しそうな高ゲタをはかせてやるよ」。 「8月15日はどういう日だ」、一部の学生はポカ〜ン。高倉健がなくなったとき、「高倉健が亡くなったよ」「高倉健って誰だ」。長嶋茂雄も知らない世代なんだー。
 う〜ん、疲れた。こういうのを「ジェネレーションギャップ」というらしい。      

編集後記 

 
長かった梅雨がやっと明けたと思いましたら途端に猛烈な暑さとなり、コロナ対策のマスクや換気もしなくてはならず、それに加えて熱中症対策も、今年の夏は例年以上に大変でした。皆様はいかがお過ごしでしたか?コロナが猛威を振るう中でのこの夏は何かと不自由を感じるものの身の安全は何物にも代えられないと日々過ごしておりました。様々な行事も中止となりなかなか皆様にお目にかかれませんね。これからは夏の疲れも出るころです、くれぐれもお体をご自愛くださいませ。a.y

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発行者:かまくらりんどうの会   代 表:渡邊武二 TEL45-6307
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